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石鹸作りの世界的歴史2







ローマ帝国とケルト文明

初の明白な証拠としての石鹸作りは古代ローマの歴史の中で見つかりました。ローマのある歴史学者が、当時の石鹸は山羊の油脂と木材の灰で作られていて、さらに塩を使うことで固い石鹸を作っていた、と記録を残しました。イタリアの、火山の噴火で埋没したポンペイには、石鹸の工場の跡があったことが確認されております。ローマの人々は、公衆の入浴が親しまれていたことでよく知られていますが、石鹸は、身体を洗うために使われていたのではありません。ギリシャやローマでは身体を洗うためにはオリーブオイルと砂で肌をこすり、ある道具を使って汚れや油を落としていました。身体の汚れを落としたあとは、ハーブを使って作られた軟膏を適用して保湿をされておりました。当時、人々は入浴は身体にいいのではないかと考え、ハーブ風呂が楽しまれました。ローマの指導者たちをその美で驚かせたことで有名なエジプトの女王クレオパトラは、美の元は、彼女の浸かる馬の乳の風呂だと言っていたそうです。紀元後の初期では、石鹸は内科で病気の治療に使われるようになり、2世紀の内科医ガレンは、石鹸の入った風呂に入浴することが、ある種の肌にはいいと患者さんに推薦し、ローマ時代の後期には、石鹸で身体を洗うことが広がってゆきました。ローマ人との関係が深かったケルト族の人々も同じように石鹸を作り、風呂で身体を洗うのに石鹸を使っていたのだろうと考えられています。石鹸の使用が広がったからといっても、昔は今のようなメディアがなかったので、3世紀に人々が都市で公衆の入浴場で石鹸を使い始めた頃でも、まだ小さい村に住む人々はオリーブオイルと砂を使う方法で身体を洗っていました。

石鹸の作り方の発見についてのおもしろい言い伝えがありました。その言い伝えでは、ローマのサポ(Sapo)と呼ばれる丘の下でテーベル川で衣服を洗っていた女性達によって石鹸は発明されたことになっています。女性達はあるとき、川のある時点で衣服を洗うと他の場所で洗うのとは打って変わって簡単に衣服がきれいになることに気付きました。というのも、サポ(Sapo)丘の上に建っていた神殿の、いけにえを燃やしていた場所から、その灰といけにえとなった動物の脂が雨と一緒に川に流れてきたために、それらが石鹸を作り、女性達の洗濯の役に立っていたのだろうというのです。石鹸(Soap)の文字は、このサポ(Sapo)丘の名前からきたのだというわけです。しかし、この言い伝えでは、ローマ人が石鹸の作り方を発明したことになっているのですが、実は最初にそれを発見したのはケルト族の人たちなので、ケルト族に対決するつもりでローマ人がでっち上げてできた言い伝えなのでしょう。本当の「soap」の語源は、ケルト族の人たちの使っていた古ラテン語「sapo」からきていて、その意味は、「牛脂と灰の混合物でできた髪の染料」でした。石鹸作りの起源がローマであるという説はよくありますが、これらは言い伝えであったのです。石鹸作りはケルト族の人々によって実は最初に始められていて、ローマ人よりもずっと前に石鹸の使用を楽まれていたのかもしれないのです。

ヨーロッパ暗黒時代

西ヨーロッパでのローマ帝国の破壊後の暗黒時代では、石鹸作りやその使用はほぼなくなってしまいました。東部地中海地域の中にあったローマ帝国の残り、ビザンティン帝国や、アラブ帝国では石鹸は作られ、使用されていました。8世紀ごろにイタリアやスペインで石鹸作りがまた復興され、13世紀までにはフランスでもヨーロッパの市場で売られる石鹸が作られるようになり、14世紀には石鹸作りはイギリスまでに渡りました。南部ヨーロッパに位置するイタリア、スペインやフランスの港で作られた石鹸(マルセイユ、キャスティール石鹸)はオリーブオイルを使って作られていました。これらのオリーブオイルを使って作られた石鹸は、オリーブオイルの摂取が難しかしくて動物油脂で作られていたイギリスやフランス北部で作られた石鹸よりも品質の高いものでした。牛から取れる油脂、牛脂が当時では主要な油でした。ヨーロッパ北部の石鹸屋さんは、魚の油も使っていました。動物油脂で作られた石鹸は、洗濯や織物を洗浄するのには向いていましたが、風呂に入れたり身体を洗うのには適切ではありませんでした。それに比べて南部ヨーロッパからのオリーブオイルで作られた石鹸は素晴らしいものでした。これがきっかけに、南部ヨーロッパからの石鹸の輸出が活発に始まりました。

暗黒時代に人々は風呂に入っていなかったという言い伝えがありますが、それは誤解です。公衆の入浴所があり、そこには大きい木製のバスタブが設置されていて石鹸もありました。貴族や豊かな商人の中には、自分の風呂を持っていた人もいました。

入浴が楽しまれなくなったのは、後期の中世期でした。当時、ヨーロッパの3分の1の人々がなくなった原因であった伝染病が公衆の入浴によって広まると考えられ、公衆の入浴所は全て閉じられてしまいました。ルネサンスでの人々は、身体をきれいに保つことを止め、強い香水をつけることを好むようになりました。しかしながらも石鹸は、洗濯用としてきちんと残っておりました。身体を洗うものとしても石鹸は存在していたのですが、今の時代の石鹸の使われ方と比べたら頻度は本当に低いものでした。入浴の人気がなくても石鹸は17~18世紀において価値のあるものだという考えは、開拓移民によって北アメリカ、南アメリカに継がれました。身体全体を入浴するのは古い考えではありましたが、自身や身の回りをきれいに保つことは、大切に考えられていました。


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